時々、我が子が荒れる日がある。
最近は数ヶ月に1回。
その日限りもあれば、しばらく続く日も。
乱暴な言葉を使ったり、行動が荒くなったり。
そんな時は
子どもと私の関係を見直してみることにしていて。
原因は学校だったり
その子自身の気持ちの揺れだったり
それこそ、私との関係で生まれていたり。
でも、原因がどこにあっても何であっても
「子どもと私の間」を整えることが
根っこのような気がしていて。
そこが整うと
子供が落ち着くのはもちろん
私も落ち着いて寄り添うことができる。
例えるなら
部屋が散らかっていると
何をしても集中しづらくなるのと同じで
部屋も心も2人の関係も
まずは整えることで見えてくる。
私と子どもの間を整えることで
心の余白ができて
深呼吸しながら落ち着いて向き合える。
そしてお互いの間に
「安心できる場所」ができる。
きっと外部の嵐がどうであれ
私とこどもの間に
しっかりとした道を敷くことが大事な気がする。
道がしっかり整っていれば
風が吹いても道沿いの草花は倒れず
子どもと共に安心して進んでいける。
何か壁にぶつかる度にその道を整えてる感じ。
そうして
「安心できる場所」が整っていくからこそ
いろんなことに挑戦できるんじゃないか、なんて思ってて。
「安心できる場所」があることで
「もしうまくいかなくても、ここに帰って来れる」
という前提ができて
それが心を軽くし
失敗を恐れず一歩を踏み出す力になる。
そしてその挑戦から新たな出会いや成長が生まれる。
私自身、権威的な親の下育ちながら
挑戦を選ぶより妥協を優先し、失敗を恐れ挑戦を避けてきた。
そんな私の過去を振り返ると
今は「安心できる場所」ができ
そこが自分の本音で一歩を踏み出す力になってて。
そのおかげで
以前は出会えなかった多くの新しい人たちと出会い
妥協の中ではぶつかることのなかった困難にも直面しまくり。
そうした経験を通じて
自分の新しい一面と向き合うことができ
成長していく日々を過ごしている今日この頃。
その過程には
生きる難しさと同時に
ほとんどの瞬間に感じる楽しさがあって。
「安心できる場所」が
どれだけ私を強くし挑戦へと導いてくれたかを振り返ると
かつて「安心」が欠如していた頃の自分は
ただ妥協の中で
自分らしくいられなかったことに気づける。
そんなことから
「挑戦」は「安心」の上に花開くもの
だと強く実感していて。
「安心」があるからこそ
失敗してもうまくいかなくても
戻って休まることができて
また挑戦する勇気を持てる。
そんな循環が生まれる関係になれれば
私も子どもも生きることを
もっともっと楽しめるのではないかと。
だからこそ
子どもと共に学び続け
共に成長し困難を乗り越える力を育てたい。
そして困難を乗り越えるときに
笑いがあれば尚更いいよねって
最近、意図的にお笑いの動画を見てる私。
笑いではなくもうね、尊敬が溢れる。
芸人のようなユーモアを育てていきたい。
周りを笑顔にできる人間になりたい。
どんな失敗も
笑い話に変えて前へ進んでいくぞ。
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