この感覚わかるかな?わかる人の励みになるといいなとまとめてみた。

深掘り

「小さい頃何が好きだった?」「どんなことで幸せを感じた?」

と数年前にある人に尋ねられた。

答えが出てこなかった。

好きなものはそれなりにあるけど

これだけは!というわけでもなく。

そんな自分にどこか寂しいような困惑したような

自分のことなのに自分ごとじゃないように感じて。

その頃、出会えたジャーナリング。

答えを求めて書いて書いて書いて

何日もかかった。

なんなら今でもその問いを見つめ直したり。

自分のことがわからなくて

自分の素直な感情がわからなくて

何も書けなくて進めない日もあった。

でも書き尽くすまで自分を見つめ直したとき

いつもどこか満たされない自分のことや

自分の不満や不安の原因が少し見えた気がした。

昨日の投稿でも伝えた

親と子の間に生まれた「ズレ」。

今回の話す「ズレ」は

自分と親の求める自分との「ズレ」。

私の場合は

完璧を求める親に

認めてもらいたい褒められたい。

親に怒れたくない。

親の悲しそうな顔を見たくない。

私が親を笑顔にするんだ。

自分らしくあっては好きになってもらえない。

そうしていつの間にか

自分らしくあることが親の理想の子になる

ということにすり替わってて。

そして大人になったとき

「小さい頃何が好きだった?」「どんなことで幸せを感じた?」

と問われて気づく自分の気持ちや感情がわからなくなってたことに。

自分らしさを大切にしていいの?

自分が自分であることって認められていいものなの?

自分って悪い人間でしょ?そんな自分受け入れるなんていいの?

ってくらい自分を受け入れることもできなくて。

この感覚伝わるかな?

言葉で説明するより絵にしたら伝わりやすいかな?

と思って描いてみた⇩

物心ついた頃から上に書いた絵の感じで

自分と付き合ってきた私。

親の期待に応えることができると喜ばれ

自分らしくいることが親の希望と違うときは否定され。

親からの承認や賞賛が欲しくて

自分の中で湧いてきた感情や考えは親の求めるものなのか?

と照らし合わせながら生きてきたもんだから

気がついた時には自分自身がわからなくなってた。

きっとそれがどこにいても何をしても

どこか不安や不満を抱えてた私の原因。

自分の出す答えは不安で。

認められるであろう答えを選択するから不満になって。

頑張っていないとどこか不安で。

「小さい頃何が好きだった?」「どんなことで幸せを感じた?」

その問いかけのおかげで始まった「自分探しの旅」。

今も旅の途中だったりする。

上の図のような癖はなかなか取り除けない。

だって30年余りそうやって生きてきたから仕方ない。

でも、今はその自分に気づける。

そして向き合うことができる。

正直言って

向き合うことは時間も労力も結構必要で。

でも向き合うことで心が軽くなることを

今の私は知っているから向き合う方を選ぶ。

向き合い方を試行錯誤して時間がかかる時もある。

涙が必要なときも誰かが必要な時もある。

でももう逃げることは選びたくなくて。

というのも

とことん向き合うことで

自分らしくいることの心地よさを知ることができて

自分で選択することの潔さを身につけた今は

過去の痛みも自分の嫌なことも受け入れてでも

自分の道を自分で選んで進んでいきたいと思えるから。

きっと昔の私のような感覚の人って少なくはないと思う。

そんな人の励みになるといいなと今日の投稿。

自分の心の奥へと向かう旅。

魔法のようにパッと心が軽くなるわけではないけれど

自分と向き合うことを始めることで

今までと同じ世界が変わって見えてくる。

そして見え方が違ってくると

私の人生、いいことも嫌なことも含め

私らしくていいな、なんて思えてくる。

みんな自分の人生を自分で彩る力を持っている!

みんなが自分の人生を大切にできますように!

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